【お母さんも自由に生きられる社会を】私がインターンをするもう1つの理由
2015.01.14
みなさん、明けましておめでとうございます。事務局スタッフのしのです。
年明け最初のブログなので、年末年始のお話をしようかと思いましたが、もう14日ですので今回はいつもとは少し違うお話をします。
私が「病児保育」に興味を持ったもう1つの理由
以前、スタッフブログにて私がなぜインターンをしているのかは少しお話しました。
親子の良好な関係のため、特に子どものために何が必要か、という想いがあり病児保育に興味を持ちました。
病児保育は直接的には働く親を支えていますが、それは間接的に子どもの幸せに繋がっていると私は考えています。
”病児保育”という分野でインターンを始めた理由には、このような、特に「子どものために!」という想いがありました。
しかし、インターンで働き始めてから、インターンを始めた理由はそれだけではなく、もう1つ大きな理由があったことに気が付きました。
それは、「お母さんも自由に生きられる社会であってほしい」という強い想いでした。
お母さんも自由に生きられる社会?
私は3人姉妹の末っ子で、父は亭主関白の仕事人間。
”男が家族を養い、女は家庭に入る”という古い考え方を持った父でした。
それでも私が3才になった頃には母は正社員として働き始めたのですが、父の考え方は変わらず、母はまた専業主婦になりました。
24才で母親となり、さらに20代で両親を亡くしていた母が息抜きをできる場所は、きっと会社などの家庭外しかなかったと思います。
その社会との繫がりが全くなくなっても、母は文句一つ言わずに私たちを育ててくれました。
24才から母親をしていた私の母からは、人生で一度も「私は色々我慢してるんだから」とか「自分の人生を犠牲にしてあなた達を育ててきたのよ」とかいった言葉を聞いたことはありません。
来年母が母親になったのと同じ年になる私には、とても想像ができません。
きっと私なら、「まだアレもしたかった、コレもしたかった」と思ってしまいます。社会から切り離されるなんて全く考えられません。
実際に母がどう思っていたかは分かりませんが、私自身は母の自由を奪ってしまったのではないか、とずっと思ってきました。
たぶん、母は色々と我慢をしてくれていたと思います。
小さいながらにも、母がかなり我慢しているように見え、それでも私達のために文句一つ言わない母を見ているのは本当に心が痛かったのです。
その姿を見ていたからか、私は結婚しても子どもがいても仕事を続けていきたい、という想いが強く、また世の中のお母さんにも子どもがいても選択の自由があるといいなぁ、と思っています。
それには日本社会全体が父親も母親も自己実現が当然にできるべきだ、と考えられるようにならないといけませんが、病児保育がまずその足がかりになれば、と思います。
私が病児保育に興味を持ちインターンをしているのは、母への後ろめたさと感謝の気持ちが根本にあったのかもしれないと気がつき、2015年もがんばろうと改めて思った年明けでした。
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